「変」

2月の下旬に迫った、笹子重治さんとのレコーディング。
徳庵ライブの前日も、レコーディングを想定してのリハーサルでした。
とはいえ、ライブ同様、笹子さんのギターと私の歌という、
シンプルまるだしの編成なので、
ライブでもレコーディングでも、リハーサルの内容はほぼ同じなのでした。

この、ダブルの効果のリハをやり、ライブの本番も無事終わり、
思うところ、ゆきつくところは、
やっぱり回数だ、ということ。
やればやるほどこなれてくるし溶け合ってくる。
というわけで、創徳庵でのライブも、かけがえのない貴重な一回となったわけです。

私は、ミュージシャンの世界の中では、
案外、一般人に近い感覚を持っていると思っているのですが、
それでも、ここのところ、生き方、とか、人生、とか、価値観、とか改めて考えてみると、
やっぱり、一般的なところとは随分と離れている、というか、
「変」だと思うのです。

だって、日々、何を考えているかというと、
いい歌かきたい、いい歌うたいたいという、ということばかりなのですから。
「いい歌かきたい」のいい歌とは、
自分が心底「いい!」と思うような、自分の好みにぴったりの歌。
自分が言いたいこと、表現したいことが、自分らしくできている歌。
それがうまれた時には、この上ない幸せな気持ちになるのです。
そのために、日々、頭を悩ませ、ひともじひともじ考えてる……。
誰に頼まれたわけでもないのに、それを求めて、まっしぐら。
そして、自ら創ったその歌を、心をこめて、いや、
心をこめていることすら忘れてしまうくらいに一体になって歌う……
これもまた、何にも変えがたい幸せなのです。

この自己表現については、人に迎合したくないし、お金に左右されたくない。
かといって、富豪でも仙人でもないので、生きてゆくためのお金も必要。
そのあたりのバランスをとりながら、
音楽制作の仕事や楽曲依頼などを喜んでさせていただいているわけで。

そんな私にとって、笹子さんはとても貴重で心強い存在なのです。
楽家として大先輩でギターの腕もバッチリなわけですが
(正しくは、唯一無二の、歌とからまるギター伴奏の名手、と思っています)、
音楽への想いが、かなり同じ方向性なんだと思うのです。
お金に迎合しない。
売れる音楽に迎合しない。
お客さんの人数やCDの売り上げで音楽を判断しない。
自分が好きだと思うものをやる。

言葉で言うのは案外簡単で、
そうゆことを言っている音楽家もたくさんいると思うのですが、
笹子さんの場合は、嘘じゃないということがよくわかるのです。
現に、上辺だけだったら、私の世界につきあってくれていないと思うし。
レコーディングのことを含めいろいろな話をしているうちに、
笹子さんという人がよりよくわかってきた今日この頃。
要は、私以上に、笹子さんも「変」なのです、ハイ。
「ヘンとヘンを集めて もっとヘンにしましょ〜♪」という
うる星やつら」の歌が頭をぐるぐるめぐっています。

さぁ、このテンションを持って、レコーディングにのぞみます。
誰に頼まれたわけでもないのに、創りたいから創るのです。
結果として、多くの人が買ってくれる分には、
とってもとってもありがたいことなのです。